多数ゲストをお迎えしたアルバム、という今作のアイデアは、もう随分と前に思いつきまして、実現に向けて周到に準備しておりました。
が、コロナの影響もあり、実はそれ以上にオトナの事情も少なからずありまして、延期に次ぐ延期。
変わりゆくレコード業界のイロイロと、未曾有のウィルスを乗り越え、こうしてようやく皆さまにお届け出来る運びとなりました事、ココロより嬉しく思っております。
曲を書く際は大体、それがガレージシャンソンショー用ではなくとも、まず"外堀"から埋めていきます。
「2ビート盛り上げ系コール&レスポンスあり」
とか、
「マイナーしっとりバラード系サビはメジャー」
とか、
「13拍子でイケイケ」
とか。
"外堀"、つまり全体のイメージや骨格がおおよそ埋まったら、それにハマる各パートのメロディやベースラインやリズムなどを固めていって、全体の構成を整理して、という流れ。
一方で歌詞については、歌い手さんにほぼ100%お任せ。
ごく稀に、一部自分で準備する時(前作《13〜treize〜》の「13日の金曜日」とか「ウララーウララー」とか「山本リンダ」とか「ゴジラゴジラとメカゴジラ」とか「伊福部昭」とか)もあるけれど、言葉で彩る部分はお任せしてしまった方が、ほとんどの場合コチラの思惑なんかは軽く超えてきたりするワケで、そういう作業がとても面白いのです。
今作、佐藤は13曲中8曲を書いております。
リリースに寄せて、曲を書く立場からの楽曲解説を、お節介ながらウィキペディアなどのリンク付きで。
〜楽曲解説〜
1.異父母兄弟のブルース
【ザッハトルテ】の3人とのジョイントツアーの為に書き下し。
パートが一気に3人分増えるワケで、コール&レスポンスはもちろん、より派手に、よりニギやかにすべく筆をススメまして、特に間奏部分は各々のやり取りが見える様にポリフォニックに。
ゲストが多数参加する今作のアイデアも、この曲があってこそ。
しかしコーラスの汗臭いコトこの上無し。
2.齢傾くとも
活動休止の直前に書いていたものを、イントロなど大幅にリアレンジ。
2ビート的に刻む3拍子で、バースデーソング、という"外堀"。
リアレンジしたイントロ/間奏/エンディングは、大編成の弦楽アンサンブル、もしくは歪みまくったツインギター、をイメージ。
Aメロの合いの手は地味なティハイ。
3.余計な一言足りない一言
【黒色すみれ】の2人とのジョイントツアーの為の書き下ろし。
王道のシャンソン的なワルツをデュエットで歌い上げる、という"外堀"。
それにしても”ゆかちん””さちどん”お二人の怪しくも妖艶な存在感。
4.ファンク・ザ・ウィルス
アコーディオンをひたすらファンキーに刻む。
ジェームス・ブラウンな導入と、タンバリンとトライアングルを叩き狂う間奏は目論み通り。
5.的外れな彼女
カーペンターズ的な曲があっても良いのではという発想から、ヴァースの付いた「Close to you」という"外堀"。
ラブソングであって欲しいとは思ったが、まさかこういう歌詞が付くとは。
6.憂いの窓辺
《余計な〜》に続いて、デュエットを想定して書いたもの。
表記はあくまでも6/8拍子としていて、シャンソン的ワルツではなく、ギターならストロークする様な北欧テイストのつもり。
Rec時、【チャラン・ポ・ランタン】ももちゃんの語りにスタジオ中の男子が色めき立ったのは忘れがたい。
7.待てどいつしか
山田曲。
最初聴いた瞬間から何故かジョン・コルトレーンに思えてしまい、石川さゆり的フレーズ(♪ひゅるり〜)には1ミリも寄せることなく、ピアノ(マッコイ・タイナー)とドラム(エルビン・ジョーンズ)が聴こえてくる様なイントロとエンディングにアレンジ。
8.若い身空
山田曲。
9.燃えさし
10.自堕落論
山田曲。
【チャラン・ポ・ランタン】小春の合いの手を際立たせるべくキザミに徹する。
キレのある彼女のコーラスは嬉しい想定外。
11.めばえ
作戦会議中に10分位でササっと書いた割にはサウダージ感が出たかと。
ガレシャン初の、アコーディオンで弾く無理矢理なボサノヴァ、という"外堀"。
自分のコーラスは全くもってイケてない。
12.生きる術
山田曲の真骨頂。
その特異で美しい構成とメロディに、佐藤はただ色付けするのみ。
間奏のインチキタンゴだけは拙作。
曲最後のⅤ-Ⅰがpp(ピアニシモ)になるのは古典タンゴへの憧れ。
13.極楽浄土で逢いましょう
山田曲。
シンプルな伴奏に徹した結果のアンデス1本。
間奏部分の奇天烈な語りは、Rec当日のあみ太くん(蜂鳥あみ太=4号)持ち込み企画。
★アルバムは山田・佐藤のライブ会場、またはgalaboxでの通販もしくはAmazonなどでも販売しております。
〜蛇足な駄文〜
およそ20年前、初めて山田くんに曲を書いたのが《ななかいのバラジョー》だったと思います。
ガレージシャンソンショーの結成当初は、それまで参加していた山田くんバンドの、歌以外(Ds/B/Gt/Tp/Acc)の5パートを1台のアコーディオンでどうにかカタチにするという作業が中心で、それは非常に面白くもあり、なかなかの苦行でもあり、とてもやり甲斐があるモノでした。
当初は山田曲を中心に演奏していたワケですが、彼の広いレンジと技巧をフルに使って、過酷な上降下降を繰り返すミュゼットの器楽的なメロディを日本語で歌ったら面白いのでは、という"外堀"で旋律を書き、彼がそこへ見事に日本語をのせてくれたのが1stアルバムに収録された《ななかいのバラジョー》だったワケです。
その頃、歌とアコーディオンだけのユニットなど皆無だったし、如何にこの編成で音楽的に強力にアピールできるかを試行錯誤する事は、まぁとにかくオモシロかったのです。
ですが、活動始めて間もない頃、まだ1stアルバムを出す前に
「なんだ歌の伴奏かよ」
と言われたコトがありました。
折しもアコーディオンが少しずつ注目され始めた時期で、前面に出てメイン楽器としてアピールする魅せ方を期待されていたのでしょう。
なのに何故また再び"のど自慢"なのか、と。
言い返しはしませんでしたけど、
『まぁ「伴奏」って言われれば地味な様だけど実は全然カンタンじゃないし、
独りでそれをこなすのにはアンサンブルのスキルを総動員しなくちゃならないし、
歌手と観客を気持ち良くさせられるかどうかは自分にかかってるワケで、
こんなにオモシロくてヤリガイのある仕事は無いワケで、
その魅力が伝わらないのは残念だけど、
スゴく楽しいからまあイイか』
と思ったものです。
そんな伴奏という立場が格好悪いという意見や、およそフランスとは関係ない音楽を演奏していてもそれがアコーディオンというだけの理由で「パリっぽい」とか言われる事に、正直、何年経っても猛烈に違和感を感じます。
(そういえば最近も「落ちぶれた楽器」と言われたコトがありました。散々ですね。)
まぁ、そういういわば反骨精神みたいなものが、ある意味ではこのユニットの原動力になっている部分もあるワケですが、流石に芸歴も長くなってきて最近ではそんなお言葉も軽く流せる余裕が少し出てきたかも知れません。
四組の客人を迎えた四作目のアルバム、なかなかゴージャスで充実した内容になったと思います。
流されるままに活動を続けてきた我々の元に、才能に溢れ、キャラの濃すぎる、血の繋がらない異父母兄弟異父母姉妹たちが集まってくれました。
これはもう是非ともお手に取って頂きたく、更にはライブへ足を運んで頂けたり、グッズを購入して頂けたり、配信などでも目撃して頂けたりしたら、大変タイヘン嬉しく存じます。
お陰様で、誰に頼まれたワケでもないのに成り行きで引っ込みつかなくなった髪型とメイクに小1時間かける活動がまだまだ続きそうでして、そんな我々を面白がって頂けたとしたら、そんなありがたいコトはございません。
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